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令和6年能登半島地震 支援報告| 2024年10月
能登半島地震から1年を前に
被災地での食支援の実際と心構えを知ろう(1)
令和6年1月1日に起きた能登半島地震では、発生直後から全国の医療関係者が支援に入り、現地で活動を行った。当協会の田中智美理事も北海道栄養士会からの要請で現地支援に入った一人である。そのときの様子や、支援する際の注意点、災害に対する心構えなどを田中理事にうかがった。
災害支援リーダー資格を取得し支援チームに
私が支援に行ったのは、震災から2か月経った3月頭です。5日間の日程で、穴水町を中心に回りました。雪が残る中、まだ道路は陥没や障害であちこち分断しており、倒壊した家もそのままでした。私たちの宿も、壁が壊れてブルーシートがかけられており、鍵も何もない状態でした。
支援には、北海道栄養士会からの要請で参加しました。私は2011年の東日本大震災のあと、災害の勉強をしようと思い、JDA-DAT(日本栄養士会災害支援チーム)の研修会に参加して、リーダー資格を取っていました。被災地に行く際は衣服や食料、寝袋など自分が使うものはすべて日数分持参が必要で、まるで登山のような大荷物でした。
病院管理栄養士ならではの視点で
避難者の健康状態をチェック
現地での移動は常に車で、朝は宿泊地である七尾市から約1時間かけて、拠点となっている保健センターに向かいました。そこでその日のスケジュールを確認し、3人一組で避難所を回りました。通常は同じ県から派遣された3人でチームを組むのですが、北海道からは私1人だったため、広島市と広島県から来た行政の管理栄養士とチームを組み、雪道に慣れている私が運転を担当しました。
避難所の人数は、大規模だと100人近く、小規模だと10 人前後とかなり幅がありました。「住んでいるところから離れたくない」という高齢者が多く、近所の公民館等が避難所になっていたことも関係していたようです。そのため、点在する避難所の食支援を地域の栄養士だけで対応するのは困難な状況でした。
避難所に到着すると、まずそこの責任者( 施設長、班長など)に会い、状況を確認して避難者リストをもらいます。それから、小さな子どもや高齢者がいる家庭を中心に食の困りごとについて話を聞き、必要に応じてアセスメントも行いました。
見た目で健康状態が悪そうな人には詳しく話を聞き、緊急性が高い人は保健師に連絡して受診につなげました。高齢者で誤嚥に注意が必要な人には、提供時のとろみの付け方の指導も行いました。
日頃、病院で患者さんを見慣れている管理栄養士だからこそ気づけた体調不良もありますし、老健など介護施設の管理栄養士さんであれば、高齢者についてもっと見る目があるはずです。支援時には、そうした勤務先の違いによる得手不得手についても考慮すると良いかもしれません。
山積みの支援品を使い
その場で炊き出し
避難所での食生活は炭水化物か高塩分なものが多く、高血圧・高血糖の人には食べ方を教えたり、カップ麺の汁まで飲まないように汁の捨て場をつくったりしました。
ある避難所では支援品が山積みとなっており、お好み焼き・たこ焼きの粉、野菜パウダー、冷凍庫を占領するアイス、干し柿に生のリーフレタスなど「どうやって食べればいいのかわからないものが大量にある」状態で、逆に困っていました。
その日はちょうど雛祭りでしたが「炊き出しもないので今日もカップ麺です」と館長さんがおっしゃっていたので、それならと急遽炊き出しを行うことになりました。
電気は通っていて、幸運にもたこ焼き機が手配できたので、同じく大量にあった魚肉ソーセージを使って、野菜パウダー入りのたこ焼き風おやつをつくって配りました。アレルギー表示も行い、魚介アレルギーの子どもには具を抜いたものをつくりました。「避難所では何も安心して食べさせられなかった」と、その子の母親にとても喜ばれました。
レタスはシチューの具やサラダとして活用し、干し柿はコンポートにしてアイスを沿えたデザートもつくりました。本来の行事食ではありませんが、少しでも特別さを感じてくれたらなと思い、みんなでがんばりました。